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■ 仕事のポイント やりたい仕事は洋菓子作りだった | ![]() |
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小さくてかわいい宝石のようなケーキ。どれにしようか、見ているだけでも幸せな気持ちになります。ケーキ、パイ、チョコレート、ビスケット、ムース、アイスクリームなど、さまざまな洋菓子をつくるパティシエール。Michieさんには、さまざまな仕事を経て、やっとめぐり合えた仕事です。バイト先でのケーキ作りに魅せられ、パリ留学を経て、今では小さな洋菓子店を経営するまでになりました。 本当にやりたいことを見つけ、自分の夢を実現したMichieさんに、転職からオーナーパティシエールになるまでの道のりをお聞きしました。 |
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■ パティシエールって、どんな仕事? パティシエールとは、フランス語で菓子を作る女性職人のことを指します。ちなみに男性はパティシエといいます。パティシエールには、毎回、同じおいしさのものを作る正確な技術はもちろん、見る人を感動させる芸術性も要求されるため、常に新しさや美しいデザインを探求する姿勢も欠かせません。しかし、実際には、長時間の立ち仕事や細かい作業、力仕事なども多く、華やかさと職人の厳しさが必要な仕事です。 |
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■ 話を聞いた人![]() Michie(ミチエ)本名 児島未知恵。1969年、京都府京都市生まれ。趣味はフランス語。「最新のケーキデザインを勉強するため、時々パリや東京へ出かけています」。 |
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●洋菓子職人になったきっかけは?
高校卒業後に就職したのは印刷会社でした。活字を扱う仕事は自分に合っていなくて、4年勤めましたが退職しました。本当にやりたい仕事を探してあちこちでアルバイトをしていました。その中で、洋菓子製造のアシスタントとして入ったケーキ屋さんの仕事がとても楽しくって、私がやりたかったのは「これかもしれない」と感じました。
●それから修行が始まったのですね。
アシスタントを始めて2年がたったころ、自家製ケーキを置きたいという店に移りました。25歳くらいのときですね。一人で、本を見ながらショートケーキやチョコレートケーキなど一般的なものを8種類作りました。私の作ったケーキがショーケースに並んだときは、感動よりも“私にもできたんだ…”と驚きのほうが大きかったです。とっても好評で、初めて雑誌の取材を受けたのもこのときで、ラッキーでした。
●ケーキづくりの勉強のためにパリへ留学されたんですね。
洋菓子店やホテルの製菓部で経験を積んで8年目のころ、パリで勉強したいと思いました。洋菓子の本場はヨーロッパですが、その中でパリを選んだのは、もともとフランス語の響きが好きでフランス語の勉強をしていたから。
パリの製菓学校で学んだあと、洋菓子店で実地研修を受け、3カ月間滞在しました。フランス人はお菓子の知識も豊富で味にも厳しいので、高度な技術を学ぶことができました。
●パリで発見したことは?
お菓子作りの流れ自体は日本とさほど変わりませんが、ハッとするほどおしゃれなデザインには刺激を受けました。ハート型のケーキひとつとっても、日本では見たこともないデザインや色彩なんです。まるで美しい花園や絵画、物語を味わうかのようなお菓子は、芸術の都パリならではのもの。そんなケーキを作ることが目標になりました。
●自分の店を持とうと思ったのは、なぜ?
パティシエには、尊敬できる人のもとで働く人もいますが、私はパリに留学したことで、自分がデザインしたケーキを食べてもらいたい気持ちが強くなり店を持つことを決意しました。先立つものはお金なんですが、親は「自分のことは自分でやって!」という人なので頼ることはできません。
いろいろ調べると、可能性のある事業なら、国が開店資金を貸してくれることを知って、これを利用しました。これまで貯めていたお金と借りたお金で、住宅街に小さなかわいいケーキショップを開きました。
●店を経営するようになって、自分自身に変化はありましたか?
人とどう接するか考えるようになりました。雇われる側から人を雇う側になり、経営者としての意見を伝えながら従業員をどのように指示していくか、しばしば悩みます。それからお客様との接し方。これまではいわば裏方の作業でしたが、お店でお客様にケーキの説明をしたり、ケーキ教室の生徒さんとおしゃべりする時間が楽しいです。“きれい”“おいしかった”など、直接反応が聞けると、うれしくって、もっとがんばろうと思います。
●中学生のみんなにアドバイスをお願いします。
技術は、後からでも十分習得できます。私は少し回り道をしましたが、若い時にはいろいろなものを見て、気になるものにはなんでも挑戦して、感性を磨いておくのがよいと思います。自分の心のどこかに何かが必ず残りますから、それを大切に。そうして培った感受性が、いつか人の心に響く仕事を生むのだと思います。