環境教育の使命を胸に世界へはばたく

■ 仕事のポイント 共に考える柔軟さや適応力が大切
「飢えに苦しむ子どもたちがたくさんいます」
「病気になっても、飲む薬もない赤ちゃんがいます」
「住む家のない子どもがいます」
世界の人口の8割が、このような問題を抱える国に暮らしています。
発展途上国の貧しい人びとや、戦争のため難民になった人を、現地へ行って支援しようという日本人が増えてきました。
環境活動がしたいと考えていた、川添徳子さんもその一人。
言語、文化、習慣、食事などが異なる中央アメリカ、ニカラグア共和国へ
青年海外協力隊員として渡り、2年間の任務を果たしてきた川添さんに話をお聞きしました。
 
■ JICA国際協力推進員って、どんな仕事?
JICA(独立行政法人国際協力機構)は、政府が開発途上国に行う資金や技術の協力(ODA)のうち、技術協力を主に実施しています。国際協力推進員はJICA事業の窓口として各自治体に置かれ、国際協力への理解と促進を図る広報活動や、ボランティア事業の相談・支援を行っています。その中の青年海外協力隊は、日本の若者が持っている技術・知識を生かして、開発途上国の「国づくり」・「人づくり」に協力するものです。毎年約1,000人以上がアジア、アフリカ、中南米、中近東、大洋州、東ヨーロッパなどの世界各地に派遣されています。
■ 話を聞いた人

川添徳子(かわぞえ・のりこ)
1980年、京都府京都市生まれ。
得意のスペイン語は、派遣前3ヶ月で習得。「時々、大学時代に所属していた馬術部へ馬の世話をしにいきます」。
ニカラグアでは泣いてばかりの毎日

●青年海外協力隊に応募したきっかけを教えてください。
 小学4年生の夏休みに、読書感想文の宿題で読んだ一冊の本がきっかけです。ヒグマの絶滅について書かれた本で、かつて世界の広い地域に生息していたのに、土地開発や乱獲で生息数を大幅に減らしているという内容でした。衝撃を受けて両親と話をする中、青年海外協力隊に参加すれば開発途上国で環境活動ができると教えてもらいました。世界で働いてみたいと思い続け、大学を卒業すると同時に青年海外協力隊の試験を受けました。

●ニカラグアではどんな生活でしたか?
 環境問題の意識向上をはかる目的で、現地の教員養成校へ派遣されたのですが、1年目は思うような活動がなかなかできず、色々なことで葛藤する毎日でした。仕事から家に帰ると緊張が解けたように涙が止まらないこともありました。ニカラグアでは夜に水浴びをすると不吉なことが起こると信じられているんでが、知らずにシャワーを浴びて、ものすごく怒られて…。食べ物も合わなくて自炊に切り替えたんですが、現地の食べ物を尊重していないと思われたのか、ますます関係が悪くなり、陰で悪口を言われているのを聞いたこともあります。
 学校では、校長先生に「バスはいつ届くのか」と聞かれて、あっけにとられました。校長先生が期待する援助は日本からの「お金・モノ」なのです。バスは届かないし、私は環境教育をするために来た、と言っても「バスがだめなら草刈り機でもいい」という具合。会うたびにモノをねだられ、話が進まない。学校側の協力がないので肝心の活動もできず、「ニカラグア人なんて嫌い。帰国したい」と泣き言ばかり言っていました。

●大変な状況をどうやって乗り越えたのですか?
 1年たったころ、ひとりのニカラグア人女性と友達になりました。彼女は私の話し相手になってくれ、ニカラグア人の考え方を教えてくれました。私が学校での出来事を愚痴ると、「それは、相手はこういう気持ちで言っているんだよ」とアドバイスしてくれるのです。
 派遣期間が2年間しかないということもあり、焦ってイライラしていたように思います。現地の先生の話を途中でさえぎり「それはこういうことでしょ!」という決めつけた言い方をしていました。相手にしたら、自分より若い小娘に偉そうにされて面白いわけがない。コミュニケーションがうまくいかないのは、私の方にも反省するべき点がたくさんあったことに気づかされました。
 日本での経験を押しつけるのではなく、その土地にあった方法を現地の人と一緒に考える柔軟さや適応力が大切なのだと、思い至ったのです。
 彼女のアドバイスのおかげで、少しずつ先生たちと仲良くつきあえるようになり、私の話をよく聞いてくれるようになりました。みんなで「植林活動」や「ゴミのポイ捨て防止キャンペーン」などを実施することができて、帰国するときには、ニカラグアもニカラグア人も大好きになっていました。

互いが尊重しあうことから始まる国際外交

●ニカラグアの体験は役立っていますか?
 青年海外協力隊に関する相談を受けるときはもちろん、国際イベントの企画を考えるときも、講演会で話すときも、ニカラグアに赴任当時の苦い経験が役に立っています。もし「ニカラグアなんて嫌い」という気持ちのまま帰ってきたとしたら、今の仕事はできなかったでしょうね。
 自分が持っている知識や技術を途上国で生活する人々と共有し、また現地の人々から私たち自身も多くを学び尊重することができれば、それは十分に国際協力で、同時に草の根の外交だと思います。

●将来の夢を教えてください。
 今も、環境問題の現場で仕事がしたいという夢を持っています。一言で環境と言っても、ゴミ問題、地球温暖化問題、生態系の破壊など細かく専門分野に分かれています。今の私はまだ、世界のニーズと自分の希望の重なる場所を探している状態。国際機関に就職するには大学院での専門的な勉強が必要だとわかったので、いずれ大学院に入って、再び世界へチャレンジするつもりです。

●中学時代にやっておきたいことを、何かアドバイスお願いします。
 いろんなことに挑戦して、自分が何をやりたいのか探してください。私は中学時代に神戸で震災に遭い、価値観が大きくゆらぎました。生活が荒れて、親に反抗を繰り返して、一時は進学も危うい状態だったんです。でもそこで踏みとどまれたのは、世界で働きたいという夢があったおかげだと思っています。