ものと人の認識──見えるものと見えないもの── 教育学科心理学 矢野 喜夫先生 

 

 

1.ものの量の認識 関連科目:生活科・道徳)

 

 

(1) 人の性質

 みなさんは、一人ひとりの人間には、その人の性格や能力などの性質があることを知っているでしょう。

人の性格には、やさしいとか厳しいとか、勇気があるとか臆病だとか、しっかりしているとか意気地がないとか、

良い人だとか、ちょっと悪い人だとか、いろいろありますね。それは個性とか人柄とか人間性とも言いますね。

また人の能力には、力が強いとか弱いとか、何かが上手だとか下手だとか、賢いとか物知りだとかとか、これも

いろいろありますね。そのような人間の性格や能力というものは、ふだんはその人の中にあって見えないけど、

勉強する時とか、遊んだりスポーツをするときに外に現れるものですね。

 

 

(2) 人の見かけと印象

 その一方、人間には一人ひとり違う顔つきとか体つきとか、見かけや外見や見た目があって、それを見れば

その人がだれかわかりますね。私たちはその人の顔つきや体つきを見て、やさしそうな感じがするとか、ちょっと

恐そうな感じがするとか、力が強そうだとか弱そうだとか、賢そうに見えるとか、良い人のように見えるとか

ちょっと悪そうに見えるとか言いますね。そのように人の見かけでその人の性格や能力や人柄を判断するのは、

印象形成といいます。とくに、その人を初めて見たときの印象は、第一印象と言いますね。私たちは人に会ったとき、

第一印象が良かったとか悪かったとか言います。

  私たちは、初めて会った知らない人を、見た目の印象で、この人はこんな人だろうと思ってしまうことがよくあります。

その印象が当たっていることもあるけど、その人の本当の性格や能力や人柄は、初めの印象とは違うということも

ありますね。だから私たちは、人間について、外に現れて目に見える見かけや外見や見た目の印象と、その人の

中にある性格や能力や人柄とは、ぴったりとは一致しないことを知っています。目に見える見かけや外見と、

人の中にあって目に見えない性格や能力や人柄は、無関係ではないけれども同じものではないことを知っています。

私たちは、ついつい人の見かけや外見にだまされてしまうけれども、目に見える見かけや外見が、その人の中にある

本当の性質と同じではありません。

 

 

(3) 人の見かけと性質の区別の発達

 しかし、そのように外に現れていて目に見える人の見かけや外見と、人の中にあって直接には目に見えない

内側の性格や能力や人柄という区別があることがわかるようになるのは、みなさんが小学生くらいになったとき

からなのです。それまでの小さい幼児の子どもは、そのような人間の外側の見かけや外見と内側の性質の区別が

あることを知らないのです。それは、目に見える見かけと目に見えない性質がいつもぴったり一致すると思っていると

いうよりはむしろ、そもそもそのような人間の外側の見かけと内側にある性質を区別していないのです。それは

ちょうど、そういう小さい子どもが、ものの本当の量や大きさや長さと、目に見える見かけで、多そうに見えるとか

大きそうに見えるとか長そうに見えるということと区別しないのと同じことです。

 小さい幼児の子どもには、強そうな人が強くて、弱そうな人が弱くて、恐そうな人が恐くて、

優しそうな人が優しくて、悪そうな人が悪いのです。見るからに悪そうな怪獣は悪者だし、

悪者は悪そうな顔をしているし、ウルトラマンや仮面ライダーは見た目にかっこよくて、

いつも強くて正義の味方なのです。

 でも小学生くらいになると、ちょっとみたところ恐そうな人が実は優しかったり、優しそうな人が

実は意地悪だったりするということがわかるようになります。人の外側の見かけと、内側の本当の

性質という区別があることがわかるようになります。

 

 

 

 

(4) 見かけと本当の性質の違い

 みなさんは、アメリカの古い映画で「オズの魔法使い」という童話の映画を

知っていますか。今はDVDで売っているので、すぐに見ることができます。

そのお話は、ドロシーという女の子が竜巻に巻き込まれて、魔法の国に

入り込むのですが、家に帰らせてもらうように、オズの魔法使いに頼みに行く

ために旅をします。その途中で、脳がないので脳をもらいたがっているかかしや、

ハート(これは心臓でもあり優しい気持ちでもあるのですが)がないのでハートを

もらいたがっているブリキマンや、ライオンのくせに勇気がないので、勇気を

ほしがっているライオンと出会って、みんなでいっしょに冒険の旅をします。

 

 かかしに脳がないのは当たり前で、ロボットのようなブリキマンにハートが

ないのも当たり前ですが、ライオンに勇気がないのでは、ふつうはちょっと

おかしいですね。ライオンは見た目は勇気があって勇ましそうに見えますが、実は勇気がないのです。だからこの場合

ライオンは、見た目の見かけと、内側の本当の性質とは反対で違っているのです。

 

  またみなさんは、宮崎駿監督のアニメ映画「となりのトトロ」を見たことが ありますか。その映画で、6年生の女の子のさつきが、

一家で田舎に引っ越して きて、妹のメイといっしょに新しい家に入ったときに、真っ黒黒助という 丸い煤のようなものが、壁の

隙間から出てくる場面があります。さつきは それを見てちょっと恐くなるのですが、その後、廊下の向こうから大きな顔で 目が

ぎょろぎょろしたおばあさんがやってきます。さつきとメイはそれを見て恐くなり、メイはさつきの後ろに隠れます。

 でもそのおばあさんは近所の農家のおばあさんで、 そのあとはずっと、畑仕事を教えてもらったり、いろいろなことを教えて

くれたり、 遊んでくれたりして、そのおばあさんは優しい人だということがわかります。

  ちょっと見ると見かけは恐そうな顔をしたおばあさんですが、本当はやさしいおばあさんだったのです。さつきの ような

6年生の子どもでも、初めてあった人には、第一印象では恐そうに思ってしまうのですが、本当は優しい人 だということが

あとでわかると、その人に対して、顔の見かけでその人の性質を判断することをやめて、人の見方を 変えるのです。

そのようなことは、おとな同士でもよくあることです。

 

 

(5) 人の性質の判断

  では、人間の中にある性格や能力や人柄は、それ自体は目に見えないのに、どうやってわかるのでしょうか。

それは、その人がどんなときにどんなことをしたか、どんなことを言ったかによるのです。私たちは、人の行動や

ことばによって、その人の性格や能力や人柄を知るのです。ある時ある場面でだれかに対して、こんなことを

したとか、こんなことを言ったということからしか、その人の性質を知ることはできないのです。人の行動やことばは、

見た目の見かけや外見とは違うけれども、やはり外に現れたものです。外に現れたものだから、私たちはそれを

見たり聞いたりできるのです。私たちは人の外に現れた行動やことばによって、その人の性質や能力や人柄を

推測するのです。

 このようなときに、このような優しいことをしてくれたから、たぶんこの人は優しい人だろう、このような意地悪な

ことをしたから言ったから、たぶんこの人は意地悪な人なのだろうと思うのです。このようなすごいことをしたから、

この人は能力のある人なのだろう、このような立派なことをしたからこの人は偉い人なのだろうと思うのです。

でもそのとき私たちは、何々だから何々だろうというのを、ひっくり返して、この人は優しい性格の人だから、

やさしいことをしてくれたのだろうとか、意地悪な人だから意地悪なことをしたり言ったりしたのだろうとか、

能力のある人だからすごいことをしたのだろうとか、偉い人だから立派なことをしたのだろうと考えるのです。

人の性格や能力や人柄が初めからあって、それがある時あるところで現れたのだと考えるのです。いつも

変わらない一定の人間の性質があって、それによって、何かをしたり言ったりするのだと考えるほうが、なるほど

と納得しやすいからです。

 

 

(6) 人の性質の発達・変化

 でも本当は、人間の性格や能力や人柄は絶対に変わらない一定の性質とはいえません。わりに一定している

とは言えますが、優しい人でもときには優しくないこともあるし、意地悪な人でもときには意地悪でないこともあるし、

能力のある人でもときには失敗することもあるし、偉い人でもときにはつまらない馬鹿なことをすることもあります。

とくに、みなさんのような若い人は、性格も能力も人柄も大きくなるにつれて発達していくし、変わっていきます。

人間の中にあるそのような性質はけっして、いつまでも変わらない一定したものではありません。